へうげものの茶

「こんど織部流のお茶会がありますよ」。

先生からお聞きして、雨の京都御苑を訪ねました。

織部流とはもちろん、漫画『へうげもの』でブームになった古田織部の始めた流派です。あのようなキテレツな茶碗を作った古田織部が、いったいどんな茶の湯をやっていたのか興味がありました。

点前畳には、水指〈破袋(やぶれぶくろ)〉と黒の中次(なかつぎ)が置かれた袋棚。炉には、天井からぶら下げられた筋釜が掛けられています。

茶碗を持って入った若い亭主が道具を清め、茶杓ですくった茶を茶碗に入れたあと、なんと柄杓の合を、ぽちゃん、と音を立てて釜の中に沈めました。釜には大きな泡が立ち、はねた湯は畳を濡らします(*注)。

亭主が失敗したのかと思いました。すると半東さんが、まるでそんな客たちの反応を予期していたかのように、「これは織部流の作法なのだ」と解説しました。「湯はたっぷりありますから何杯でもお飲みください」という表現なのだそうです。

意表を突かれました。面白い。織部がやりそうなことです。

床の間に掛けられた織部直筆の手紙に関する半東さんの解説に気を取られて、見逃してしまったのですが、亭主は茶碗に湯だけでなく、水指から水を足していたそうです。それは湯の温度を一番美味しい60度にするためだとのこと。沸騰した釜に水をさして温度を下げることは裏千家でもありますが、茶碗に直接入れるとは驚きです(*注)。

茶筅を振りはじめた亭主を見て、さらに目を引いたのは、左手が膝に置かれていたこと。片手で点てているのです。その姿がなるほど武家茶らしい作法に見えます。

これらの作法のどこまでが織部の創案かはわかりませんが、たとえばピカソの絵を初めて観たときのような感動がありました。言ってしまえば、茶道は客に茶を出すだけのこと。どんな点てかたであっても良いのだと。堅苦しいと思われがちな茶道ですが、作り手たちの自由な創意工夫に満ちた、実に面白い芸術だと思います。

利休の教えを歌にした「利休百首」にこんな歌があります。

 規矩作法 守りつくして 破るとも 離るるとても 本を忘るな

いわゆる〈守破離〉という言葉のもとになった歌です。利休の門弟だった織部は、やがて利休から遠く離れて、ユニークな茶の湯を作り上げたのです。

茶会で使われた茶杓は、織部自身が作ったものでした。茶碗も、十右衛門の黒織部など、それはそれは立派なものでした。美術館に収められるような道具を今でもお茶会で使用されるのも、お茶の面白いところです。

※注(2020年2月5日追記)
古田織部茶湯研究会の方からメールをいただき、「はねた湯が畳を濡らし」たのは本来の点前からすると失敗なのだそうです。実際には「〈ぷすり〉と鳴るように柄杓を釜に差し入れる」とのこと。また、水指から茶碗に水をさすのは濃茶の所作で、薄茶ではしないそうです。ご連絡いただきましたので、ここに注釈として記します。つまり、織部流の本来の所作とはちがったわけですが、客の立場では、あの茶会を一期一会のものとして、大いに楽しませていただきました。いっそ畳を濡らす所作が正式に採用されたら面白いのに、とすら思います。

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。